昔々あるところに、両親と5人兄弟が住んでいました。父親は、末っ子はかわいがりましたが、長男から四男まではいびり抜き、とうとう殺してしまいました。近所の人々は特に長男が亡くなったことを残念がり、末っ子を白い目で見ていました。末っ子は兄たちのお下がりを着ながら育てられましたが、そのうち自分は長男なのではないかと思い始めました。そうして10数年経ったある日、母親は末っ子に「これからは長男の名前を名乗りなさい」と言いました。これを伝え聞いた周りの人々は、「長男が生き返った!」と喜びました。
さて、本当に長男は生き返ったのでしょうか。
東京都立大学は復活しない
2018年8月24日に発表された、首都大学東京の東京都立大学への名称変更ですが、そのときの発表資料や名称変更に関して行われた説明会によると、主な部分は以下のようにまとめられます。
- 2020年4月1日をもって大学名称を変更する
- 変更は大学名のみである
- B類の再開やカリキュラムの変更などはない
- 2018年の学部再編とは無関係
まとめると、中身は「首都大学東京」のまま大学名だけが「東京都立大学」となる、がその趣旨といえます。すなわち「首都大学東京 = (新)東京都立大学」となります。そこで次に問題となるのは、旧東京都立大学との関係です。首都大学東京と旧東京都立大学とは制度的にも中身としても別の大学であるということは、首都大開学の経緯を見れば明らかですので、「首都大学東京 ≠ (旧)東京都立大学」となります。この二つを組み合わせると、「(旧)東京都立大学 ≠ 首都大学東京 = (新)東京都立大学」という図式が成り立ちます。
以上を踏まえると、「(旧)東京都立大学の復活」「(旧)東京都立大学に戻る」などということではないこと、また2020年4月以降、「(新)東京都立大学とは首都大学東京のことである」ということが理解できます。
東京都立大学の偶像化と空洞化
このように、名称変更は東京都立大学の「復活」を意味しないということは、大学側も説明会などで述べていることですが、一般の人々が名前だけを見て「復活」と誤解してしまうことは、ある程度やむを得ないことかもしれません。しかし、首都大開学の経緯や名称変更の実態を知っているにも関わらず、あえて「復活」や「戻る」と述べる人々が、関係者の中にもいます。これらの人々は2種類に大別されます。
一方は、「(旧)東京都立大学」とは中身が異なったとしても名前だけは「戻して」欲しいと思っている層です。これらは、首都大設立時の大学名公募の際にもみられた思いでした。しかしながら名前を「戻す」ことで引き起こされたのは、郷愁や憧れを抱いていた大学の名前が、その大学を「破壊」した結果設立された別の大学に使われるという、「復活」とはかけ離れた事態でした。それを理解してなお、それでも構わないという程の、旧東京都立大学への郷愁や憧れは、もはや論理が介入できるものではないでしょう。
もう一方は、世間の人々が「復活」と誤解していることを利用して、中身は別大学ながら旧東京都立大学の名前の"恩恵"を受けたいというもので、その考えはいわば「大学名ロンダリング」といえるでしょう。ちなみに、受ける"恩恵"として期待するのは主に知名度とみられますが、旧東京都立大学が2000年に、首都大学東京が2018年にそれぞれ行った企業1,000社へのアンケートでは、知名度は前者が約88%、後者が85%となっています。このように、名称変更で知名度が上がるという考えは、残念ながら必ずしも根拠のあるものではありませんでした。
このように、「東京都立大学」の中身がかつてとは大幅に異なることを許容してでも名前が「戻る」ことを望んだり、「東京都立大学」の名前に"恩恵"を受けられると思いこんだりするさまは、一種の信仰とすら言えます。首都大開学時の一連の経緯により”悲劇の主人公”となった「旧東京都立大学」は、彼らによって偶像化されたのでした。しかしながら、旧東京都立大学の偶像化は、同時に空洞化をも意味しました。名前という外看板のみを重視し、中身がそっくり入れ替わること許容するその様は、まさにそれを象徴する出来事といえるでしょう。
東京都立大学はいつ破壊されたのか
ここまで、首都大学東京の東京都立大学への名称変更は、旧東京都立大学の復活を意味するものではない、ということを確認してきました。では、旧東京都立大学はいつ破壊されたのでしょうか。
最も多い考え方は、2005年4月の首都大開学時、もしくは2011年3月の旧都立大閉学時でしょう。タイミングは異なりますが、どちらも基本的な考え方は同じで、石原都政における一連の「大学改革」が原因という考え方です。しかしながら以前にも触れた通り、「大学改革」の結果設立された新大学に「東京都立大学」という名前を使わなかったことにより、「東京都立大学」の歴史や伝統は、旧都立大のまま変質することなく保存されました。
ところが、「大学改革」の結果である首都大学東京が東京都立大学と名乗ることになった今、「東京都立大学 = 首都大学東京 ≠ (旧)東京都立大学」の図式が成立し、「東京都立大学」は首都大学東京のことを指すようになりました。この意味で、旧東京都立大学が”完全に”破壊されたのは、2020年4月1日、首都大学東京に名を奪われたその時ということができます。
"都立大"の歴史を守るには
旧東京都立大学の歴史と伝統を修復することは、残念ながらもはや難しいといってよいでしょう。ですが、それらを尊重することは出来ます。まずは、その歴史や伝統を知り、その上で”新”東京都立大学と”旧”東京都立大学をしっかりと区別する事です。そのためには、どうしても”旧”東京都立大学を連想させる「都立大」という略称は、使わないほうが良いかもしれません。
この略称について学外に目を向けると、大阪では2022年を目途として大阪府立大学と大阪市立大学の合併が決まっており、大学を運営する法人の「公立大学法人大阪」も設立されました。余談ながら、まれに名前が「首都大学東京」と比較されますが、前者は法人名、後者は大学名なので比較対象にできず、比較の意味は全くありません。さて、肝心の大阪府大・大阪市大合併後の大学名は未定ですが、大阪都構想が取り沙汰される今、大学名が「大阪都立大学」となる可能性は相応に高いと思われます。「都立大」ではどちらを指すのかわからなくなる時代が、遠からず来るかもしれません。
このように、”新旧”東京都立大学をしっかりと区別する、また来たるべき”大阪都立大学”との区別の必要性、などの理由から、例えば”東都大”などのような、新しい略称が必要になってくるのかもしれません。そしてそれは、旧東京都立大学の歴史・伝統の尊重というだけでなく、忘れ去られかねない他の前身の都立3大学の歴史をも尊重することにつながります。