旧東京都立大学の歴史において頻出するB類という単語。いくつかのサークル名からおなじみだと思いますが、これはいったい何を意味しているのかご存知でしょうか。

昼夜開講制の理念

旧東京都立大学では、勤労者への大学教育の開放を目指し、1949年の開学の段階から昼夜開講制がうたわれていました。これはいわゆる夜間学部とは異なり、例えば授業を昼・夜の隔年で開講するなど、昼夜とも同等の授業を開講し、学生はどちらの授業も受けることができる制度でした。開学当初の昼夜の違いは1点、夜間のみの受講では卒業に5年が必要、という点のみでした。そのほかは、入試やその合否は同一のもので、学籍簿上の区別もありませんでした。

B類の発足-昼夜開講制からの変質

ところが1955年12月、文部省から、「設置認可申請に夜間学部の認可は含まれず、夜間学部の設置認可申請が必要」との行政指導を受けました。おりしも人文学部を分割し、法経学部を独立させる認可申請書を提出していた時期であったこともあり、昼夜開講制は変質を余儀なくされます。翌1956年に臨時制度調査委員会を発足させ、2か月間14回にわたる会議において昼夜間学生の現状などを調査検討した結果、例えば夜間学生への対応として7月8月の全て日曜日に補講を実施した事例など、問題点も明らかとなり、制度の改正が決定されました。

こうしてA(昼間)B(夜間)2課程が設置され、昼間と夜間の制度が分割されることになりました。具体的には、原則としてA類はA類、B類はB類の授業を履修するとされ、どちらの授業も自由に受ける、ということは出来なくなりました(年間制限の範囲の中での履修は可能)。また両類間の転換は原則行わないことも定められました。

B類の現実と改革

すると、B類の施設利用の時間的制限、また当初は均衡していた学力差などの問題点があらわとなり、A類とB類との不同等の現実が明らかになりました。対応として、1966年から制度検討委員会で検討が重ねられ、68年には「昼夜の区分はあるものの学力その他条件において同等」とする改革の方向性を打ち出し、A類・B類統一入試の実施、受講制限の撤廃、図書館などの夜間開放などの必要性を強調しました。ところが、大学紛争等の影響により、具体的な改革に踏み出すことは出来ませんでした。

B類の閉鎖と名残

その後も南大沢へのキャンパス移転の際にもB類の充実発展がうたわれながらも具体化することはないまま、B類の募集は2003年をもって停止しました。旧東京都立大学が閉学した現在では、「B類~部」などのサークル名に残るのみとなっています。ちなみに、それらB類とつくサークルは「サークル連合」に所属していますが、このサークル連合自体もB類の学生が構成するサークルを中心に結成されたものでした。

また、2010年代前半ごろまでは、7限の後ろに7’限(19:40~21:10)が設定され、さらに土曜日にも時間割が設定されていましたが、これらもB類の名残といえるでしょう。

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