天野真之介さん
埼玉県狭山市出身/首都大学東京 経営学系卒業
2012年に富士ゼロックス株式会社に新卒入社。2016年に JICA との民間連携プロジェクトに参加をして2年間フィリピンに在住。2017年12月に帰国。2019年5月に株式会社日本M&Aセンターに転職。
※本記事は2部構成になっております。
第3部:日本帰国後から日本M&Aセンターで働くまで
―青年海外協力隊の話だけでもまだまだ話していただけるのだと思うのですが、日本に戻ってきた後の話も聞かせてください。
富士ゼロックスに戻ってからは、部署も変わって専門的な領域に配属されました。そこでの業務はやりがいもありましたし、上司も素敵な人でしたし、やる気は十分な状態でした。フィリピンに行かせてもらった恩返しとして、富士ゼロックスで仕事をし続けたいという気持ちもありました。しかし、フィリピンに行くことで、やりたいことが変わってしまった。視座がちょっと変わってしまいました。
日本企業がフィリピンに進出することに苦労している一方で、中国の企業がどんどん進出している状況をフィリピンで目の当たりしました。それを見て、「日本の企業ってこのままで大丈夫なのか」と思うようになりました。中国の企業が日本の老舗の和菓子屋さんとかを買い取って、中国ブランドで売るようになっていました。国家レベルの戦略で動いている中国を見ていると危機感を感じるようになったんです。僕達が30~40年後、日本で安心した生活ができるのかなということを感じました。そして、そのために何ができるんだろうと考えるようになりました。
そして富士ゼロックスで働くことに対し、2つの疑問を抱くようになりました。一つは、富士ゼロックスでは、あくまで企業の働き方の一部を変える支援を行う業務を担っていて、先ほどお話ししたような課題解決が富士ゼロックスにいながらできるのかなと思ったことです。もう一つはやったらやった分だけの成果をこの会社では得られるのかなと思うようになったことです。
そして、フィリピンから帰ってきて日本でイキイキと仕事をしている大学の同級生を見ていくうちに、「僕は何のために仕事をしたいんだろう」とか「誰のために仕事をしていくんだろう」とか、仕事の目的やマインドをもう一回セットし直すべきだと思い、転職を決意しました。
―実際に目的やマインドをセットし直して、大切なことは浮かんできたんですか?
はい。1つ目は「30代のうちにバリバリ働いて、働いた分だけ専門的な能力がついて、やった分だけ自分に返ってくるような会社に入りたい」ということです。2つ目は、先ほどお話したような「日本の企業が世界でプレゼンスを出すために影響を与えられる仕事に就きたい」ということです。
それらが叶えられる仕事を考えた時に2つの選択肢がありました。
一つ目がM&Aに関わる仕事でした。例えばある社長が六十歳七十歳になったときにその会社をたたんで社員が路頭に迷わないようにしてもらいたい。会社が存続して再生できる支援をしていきたいと思いました。
もう一つは人材業界に関心がありました。日本は今は少しずつ変わってきてはいますが、他国と比べキャリアチェンジがしにくい環境だと感じています。ある会社で活躍をしていた五十代の部長とかの経験を活かしきれていないんではないかと思っていました。この部長が保有している販路や技術を活かすことで何か違うことができるのではないかと。「人を動かすことで会社を変える」というやり方も面白そうだなと思い、この二つのどちらかのキャリアを積みたいと考えるようになりました。
人材の会社とM&Aの会社(現職)の2社から内定をいただいたときに、決め手になったのは「どちらが自分にあうか」というところでした。後者のほうがプロフェッショナルな気持ちを持ちつつ、やりがいを持っている社員がたくさんいたなと思い、入社を決めました。
日本M&AセンターのYouTubeでもお話ししていますので、ぜひ聞いてみてください!
―今の会社ではどういうことをやられているんですか?
今の会社は設立して30年で、「M&Aを通じて企業の存続と発展に貢献する」というビジョンを掲げています。主にやっていることは二つです。一つは後継者不在企業の継続支援です。日本企業の97%は中小企業ですが、その中で200万社以上が後継者が不在だと言われています。それらの会社がこれからすべてなくなったら日本経済は衰退してしまいます。そこに歯止めをかけるために他社と提携をすることで会社を継続させる支援を行っています。
もう一つは、新しいサービスを展開する大企業が増えてきていて、そのような企業が成長するためにそのサービスに対する経験がある企業と手を組ませ、成長させていく支援をしています。
M&Aは結婚みたいなもので、会社を譲る側と、会社を譲り受ける側の双方でメリットが一致したら結婚(M&A)するわけです。例えば、譲る側には、「継続することで従業員の雇用を守りたい」とか、「築き上げてきたブランドや特許とかを使ってほしい、継続させてほしい」という気持ちがあります。一方で、譲り受ける側には、「会社をもっと成長させるために、自社にはないこの技術が必要である。でもゼロから作り上げるのは時間もコストもかかるから他から技術やノウハウをもらって成長したい」という考えがあり、それら双方のニーズが合致しなければならないわけです。
従って、1つのM&Aにも多くの人が関わっており、色々な人の人生にも直結する仕事です。仕事をする中で涙を流して感謝されたというのは初めてで印象に残っています。
―なんでそんなことが起こったのですか?
僕が担当したクライアント企業は、社長が75-6歳、跡継ぎの息子さんがもう亡くなっている状況でした。奥様と一緒に会社を切り盛りしながらも従業員はたくさんいました。でも70歳過ぎて負債もありましたし、このままだと家も売らなきゃいけないのかと色々な不安を抱えていらっしゃいました。そこに現れた僕が息子のように映ったのかもしれないのですが、半ばあきらめていた会社に光を当てることができて、結果、買い手側に価値を感じてもらいM&Aが成り立った。そこで会社が息を吹き返しました。社長が「手間暇かけてやってきた会社が存続できるのはとても嬉しい」と涙を浮かべて言ってくれたことはすごく嬉しいことでした。
―人の感情に触れられる仕事はなかなかないですよね。M&Aと聞くと、もっとギラギラしていて、メリットデメリットを分析してお互いがそのメリットをなるべく大きくとれるように交渉しあっていくといったドライなイメージを持っていました。
そんなイメージもありますよね。M&Aビジネスはアメリカ発祥なんですが、アメリカの方だと大手の企業に、弊社のような会社がついて「社長!御社を成長させるために、あそこの会社を今だったらより安く買って高い評価を得ることができますよ」みたいにアドバイスするところから始まっているんです。だからハゲタカというイメージもあったりします。
大手M&Aの会社の中には、もちろんそのような会社もあります。ただ弊社は中小企業に特化しているから、「残りたい」「事業を継続したい」という譲る側の声からスタートしており、どうすれば助けてあげられるかというところからスタートします。だからより人間味に触れられるのかもしれないですね。
―そうなのですね。ちなみに仕事を一人前にこなすにはどのようなことをすべきなのでしょうか。専門知識とかもたくさん学ばなければならないし、たくさん働かないといけないというイメージがあります。
そうですね。簿記、会社法、社会保険など学ばないことは多いですが、結局勉強すれば身につきます。やれば身につくものだから、やりたいという気持ちがあればこの仕事は誰にでもできると思います。もちろん優秀な人が多いですが、どんな人が多いかというと体育会系とか、営業の成績とか何か輝く実績が一つでもある人が多いです。財務とかの知識が全くなくてもゼロから積み上げる度量がある人は結局どこへ行っても活躍できますし、新しいことも身に着けられるからそういう気概のある人を採用しています。なので色々な会社のバックグラウンドがある人がいて面白いです。
―充実されていますね。では今までやってきたことを聞いてきたのですが、今後どういうことをしていきたいのかということを教えてもらってもよいでしょうか?
直近でいうと30を迎えたので、ここ2,3年でM&Aの事例にたくさん触れて、M&Aにおけるプロフェッショナルになりたいです。それから今後は海外に進出をしたい企業を支援するために、海外の企業を譲り受けるなど、国境を越えたM&Aを経験していきたいです。
弊社も今そのような部署を立ち上げている最中なのですが、日本がこれから成長するためには海外に進出する必要があって、その戦略の一つとして自分が提供できるものを作ってみたい。これが直近の目標ですね。
―それはやはりJICAにいった経験を活かしたいという想いがあるのですか?
そうですね。規模は違えど、海外でゼロから何か仕組みを作っていったという点では似たところもあると思っています。