東京都立航空工業短期大学の歴史

システムデザイン学部 航空宇宙システム工学科。学部再編前は航空宇宙システム工学コースでしたが、その前身は東京都立科学技術大学航空宇宙システム工学科、さらに東京都立工科短期大学の航空機体工学科・航空原動機工学科を経て、今回紹介する「東京都立航空工業短期大学」へとたどり着きます。

東京都における航空工学教育

東京都における航空工学に関する教育を辿ってみると、その始まりは1938年に設立された府立航空工業学校に求められます。1943年には高等教育機関として、府立航空高等工業学校(航空機工学科、発動機工学科)に昇格しました。ところが敗戦後、GHQにより航空工学に関する研究教育が禁じられたため、都立理工専門学校に改称、設置学科からも航空系を外し、工業理科、機械科となりました。その後、この都立理工専門学校は、旧東京都立大学の前身6高専の一つとなりました。

東京都立航空工業短期大学の設立

このように、敗戦により一度は途切れた航空工学の高等教育ですが、その必要性は変わっておらず、1960年に「東京都立航空工業短期大学」が、荒川区南千住8-53-1(:東京都立産業技術高等専門学校 荒川キャンパス所在地の周辺)に設立されることになりました。キャンパスは都立理工専門学校と同じ場所でした。同校は旧東京都立大学の開学に伴い閉校したため、その間に10年ほどが経過しています。それにもかかわらず同じ場所に設置できたのは、同地に附属校に近い形で「東京都立城北工業高等学校」が所在していたからといってよいでしょう。同校はもともと「東京府航空工業学校」という名前で、「府立航空工業専門学校」とともに、東京都内における航空工学教育の一翼を担っていました。

さて、このように設置された「東京都立航空工業短期大学」ですが、学科は航空船舶科からスタートし、その後に航空機体科、航空原動機科に分かれ、定員はそれぞれ1学年40名となっていました。計算上、全学生は160名となり、それに対し教員は13名という体制でした。

東京都立工科短期大学へ

その後、4年制大学昇格運動が起こりつつも、1972年に東京都立工業短期大学と合併、日野キャンパスへと移転しました。これにともない、東京都立航空工業短期大学は1975年に閉学となりました。

この流れは前述の通り、東京都立科学技術大学を経て、現在の航空宇宙システム工学科へと受け継がれています。

一方、併設していた「東京都立城北工業高等学校」ですが、「東京都立航空工業高等専門学校」を経て、写真のように「東京都立産業技術高等専門学校」の荒川キャンパスに引き継がれています。

 

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