東京都立工業短期大学の歴史

東京都立航空工業短期大学と共に、東京都立科学技術大学を経て、現在のシステムデザイン学部の源流をなすのが、東京都立工業短期大学です。ですがその成り立ちは、実は旧東京都立大学と関連がありました。

旧都立大工学部"別科"の設置

1951年、旧東京都立大学の工学部に別科が設置されました。別科とは、あまり耳慣れない言葉かもしれませんが、2019年現在、学校教育法第九十一条により、「大学には、専攻科及び別科を置くことができる」こと、またそれは「簡易な程度において、特別の技能教育を施すことを目的とし、その修業年限は、一年以上とする」ことが定められています。1951年当時とは時代が異なりますが、これと同等のものと考えてよいでしょう。

別科から短期大学へ

この別科を発展させるかたちで、1954年、東京都立工業短期大学が、品川区東大井1-10-40(: 東京都立産業技術高等専門学校 品川キャンパス・産業技術 大学院大学所在地)に設立されました。初代校長は旧東京都立大学工学部長であった清家正氏、また所在地も旧東京都立大学工学部が所在していた、鮫洲キャンパスと同一でした。

機械科(定員80名)からスタートし、その後機械科の中に、生産工学専攻や電機専攻を増設(のち生産管理学科、電気科としてそれぞれ独立)しています。

当初のカリキュラムは、短期大学であるにもかかわらず、学生は120単位相当、そのうち半分は実習や製図という履修を要求されたといいます。2年間で120単位という数字だけで、その過酷さが想像できるでしょう。一方で、附属高校(東京都立工業短期大学附属工業高等学校)との一貫教育を試みており、これは現在の高専制度のモデルケースになったともされます。ちなみに、この東京都立工業短期大学附属工業高等学校の系譜を辿ると、その途中に都立工業専門学校があり、これは旧東京都立大学の前身6高専の一つでした。

4年生大学昇格運動と合併

東京都立工業短期大学では、1960年代には航空工業短期大学との合併計画、また4年制大学への昇格運動が開始されていきました。その結果、1972年に航空工業短期大学と合併、同時に日野へと移転し、東京都立工科短期大学が成立することになります。この時点では4年制大学への昇格はなりませんでしたが、この動きがその後の東京都立科学技術大学の成立へとつながることになりました。

なお、この工業短期大学閉学後、前述の附属校は東京都立工業高等専門学校への改組を経て、現在では東京都立産業技術高等専門学校となっています。さらに同地には産業技術大学院大学(※)も所在しています。かつて試みられていた、高校と短大との一貫教育は、高専という形で実を結び、さらに現在では高専(含:専攻科)と大学院との一貫教育を目指すという形で、その精神が引き継がれているともいえるでしょう。

※大学院大学…学部が無く、大学院のみを設置した大学のことを指します。

 

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