首都大学東京における東日本大震災

2011311日は、長く心に刻まれるべき日です。その日、首都大学東京、また当時併存していた旧東京都立大学では、どのようなことがあったのでしょうか。南大沢キャンパスを中心に見ていきます。

写真は、震災当日の午前10時ごろに撮影された、「空の目門」の様子です。

3.11当日

震災発生当日は、震源から距離があったとはいえ、南大沢キャンパスの所在する八王子市では震度5弱を観測しました。

学内では、建物自体に大きな被害はなかったようですが、棚が倒れるなどの物損は多く、また部屋の扉が開かなくなるなどの被害もあったそうです。

当日は春休み中だったため、学生の数は授業期間中よりは少なかったとみられますが、それでも教職員を含め、学内に人が皆無だったわけではありません。そこで問題となったのは、帰宅難民です。京王線は夜に運転を再開しましたが、JRは終日運転を取りやめたこともあり、帰宅できない教職員・学生もいました。そこで大学は、柔道場などを夜を明かす場所として提供、また非常食や水、毛布も配布したそうです。

影響

震災による一番の影響は、約10日後に控えていた卒業式の中止でしょう。卒業を控えた4年生にとっては、友人や後輩に会う、もしかすると最後の機会だったかもしれませんが、余震などの心配、また計画停電の可能性もあり、やむを得ない判断だったのでしょう。なお、卒業式の後に続く学位授与式は、学位記は配布されたものの、式典という形ではなかったようです。

卒業式の中止は、首都大学東京発足後はこれが唯一の事例でしたが、2019年度の卒業式がCOVID-19(新型コロナウィルス)の流行により中止となり、残念ながら2例目となってしまいました。今後、3例目が出ない事を願うばかりです。

さて、建物には前述の通り大きな影響はなかったものの、一番心配されたのは、南大沢キャンパスで最も目立つモニュメント、「空の目門」ではないでしょうか。当時から「地震で傾いたのではないか」という疑念を持つ人もいたようですが、実際にはそのような被害は報告されていないようです。

とはいえ、大学側も安全管理上問題だと考えたのか、数か月後に工事が行われました。震災前は柵が設けられておらず、モニュメントの下へも立ち入ることが出来ましたが、震災後は現在のように近寄ることができないようになりました。またその背後の広場は、理由はわかりませんが土が入れ替えられ、盛り上がりが作られるなど、変化が見られます。

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