東京都立医療技術短期大学の歴史(1986-1999)

「東京都立医療技術短期大学」とは?

東京都立医療技術短期大学は1986年に3つの都立の専門学校、「東京都立新宿看護専門学校」「東京都立府中リハビリテーション専門学校」「東京都立診療放射線専門学校」を統合・改組し成立しました。学科は看護学科、理学療法学科、作業療法学科、診療放射線学科の4学科、キャンパスは荒川区東尾久7-2-10に置かれました。これは言わずと知れた、現在の荒川キャンパスにあたります。ここはもとは旭電化の工場跡地でした。旭電化は今のADEKAで、同社の本社は現在も荒川キャンパスの隣にあります。

「東京都立医療技術短期大学」成立まで

さて、3専門学校の統合改組のきっかけは、1973年に計画された保健大学構想でした。これは予算等の問題から短期大学の構想となり、1982年に東京都議会において当時の鈴木俊一都知事が医療技術系の短期大学の設置を表明、具体化しました。その後1983年には東京都立医療技術短期大学構想が確定しました。

これにより校舎の設計などが行われ、198410月に着工、これは総額80億円の工事でした。設置認可も同時期に行われ、198512月に認可を受け、翌19864月に開学を迎えました。

「東京都立医療技術短期大学」での出来事

開学式は同年627日に鈴木俊一東京都知事らを招いて行われ、これが同校の開学記念日として設定されました。10月には第一回の学園祭である青鳩祭が行われました。これは現在も荒川キャンパスにおいて続いています。

また、毎年府中リハビリテーション専門学校卒業生による「府中リハビリ学院セミナー」が開催されるなど、前身校とのかかわりもあったようです。

こうしてできた同短大ですが、これを4年制大学に移行する動きは1990年にすでに始まっていました。この動きが実を結び、1998年に4年制大学の「東京都立保健科学大学」が開学すると、それに合わせて1999年に同短大は閉学しました。

 

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