大学名の公募

一連の都立4大学の「大学改革」が進む中、2003910日から1015日の期間に新大学の名称が公募されました。この公募の結果は、「東京都立大学」とする声が1番多く、「首都大学」は4番目でしたが、200426日に発表された大学名は公募結果にはなかった「首都大学東京」でした。この点、批判も多く集まっていますが、最も多いのは、「公募で一番多かったのになぜ「東京都立大学」ではないのか」という意見でしょう。とはいえ、「公募で一番多かったものが、自動的に選ばれるべき」というのは簡単ですが、ここはひとつ、その根拠を確認していきましょう。

大学名決定のプロセス

まず、新大学の名称決定のプロセスを確認しましょう。平成15東京都文教委員会18号(20031113日開催)では、当時の大学管理部長が「応募のあった名称を参考に、専門委員の先生方などの意見も踏まえながら、最終的には、知事が新大学にふさわしい名称を決定する」と述べており、この一言に尽きるといってよいでしょう。

ちなみに余談ですが、以前に触れた通り、旧東京都立大学の名前も東京都が決めており、大学関係者は別の名前を期待していた、という事実はなかなかに興味深いものがあります。

公募とはなにか

では、そのプロセスに問題は無いのでしょうか。そこで、そもそも公募とはなにか、ということについて、辞書を開いてみたいと思います。せっかくなので『日本国語大辞典』を開いてみると、

  1. 一般から広く募集すること。
  2. 証券市場で、増資に際して不特定多数の一般投資家を対象に発行証券への応募を求めること。一般募集。直接募集。

の二つがあります。このうち2は証券市場に限定される意味なので、1の「一般から広く募集すること」がこの公募の意味、ということになります。ちなみにお馴染みの『広辞苑』でも、「広く一般から募集すること」とあり、差異はありません。この時点で公募というのは「案を集めること」であり、結果の多寡は含まれない、ということが判明しました。

では逆に、結果を集計する例にはどのようなものがあるのでしょうか。例えば「人気投票」は、同じく『日本国語大辞典』によると「一般から投票を集め、票数により人気の順位を決めること」とあります。こちらの場合は、結果を集計して順位をつける、という意味までしっかりと含まれています。

このように、「公募で多かった案を使わないのはなぜだ」という主張は、「公募」と「人気投票」を混同したものと理解できます。

公募の具体例 

さて、「公募」については、単語の意味を考えるだけで十分ではありますが、せっかくなので「公募」について具体的に見てみましょう。

公募といえば、大学生にとってはある意味身近な、大学教員。これは、昔は他大学・研究機関からの引き抜き・一本釣りなどもあったようですが、最近では「公募」が多くなっています。いうまでもなく、募集要項を公表して希望者に応募してもらう、というのが「公募」です。その意味では、より身近な就職活動も、その言葉はめったに使いませんが「公募」の一種と捉えることもできるでしょう。

その他で公募といえば、文芸や美術などのコンテストの公募、美術館が団体に会場を貸し出す公募展、官公庁の事業に関する入札などの公募、というように、基本的には各候補が横一線で並列、というケースが多いようです。つまり、公募の結果について、数の大小が問題になるケースはほとんどないといってよいでしょう。

「東京都立大学」でなかったのはなぜか?

ここまで見てきたように、「一番多かった」ということは、論理的ではありませんが、とはいえ、それなりに説得力はあります。その一番多かった「東京都立大学」を避けた理由は何でしょうか。明確な資料は無いようですが、いくつか考えられます。

まずは、都立3大学との兼ね合いです。母体となった4大学の内、旧東京都立大学が最も大きく、歴史も古かったことは間違いありませんが、一方で手続きとしてはいずれも対等に廃止、新大学設立となっています。そのうえで「東京都立大学」という名前ですと、吸収合併という誤った解釈を生みかねません。それは他の3大学への配慮といえます。

二つ目は、ごく単純に新大学である、という点です。一連の経緯において、石原都政は「新大学」ということを強調していました。その点、旧来の名称を引き継ぐ、という選択肢はなかったと捉えられます。

三つ目、これはある意味二つ目と同義です。一連の大学改革について反対していた人々は、これを「大学破壊」と捉えました。当時の石原都知事が本当にそれを志向していたとすれば、余計に「東京都立大学」の名前を使うことはなかったでしょう。

しかしながら、その「大学破壊」の結果である新大学に「東京都立大学」の名前を付けていたらどうなっていたでしょうか。母校が廃止される中で「名前だけでも残す」という考えもありますが、事実としては、文字通り名実ともに「東京都立大学」は新大学に取って代わられることになります。この点いささか逆説的ですが、新大学が「東京都立大学」と名乗らなかったことにより、旧東京都立大学は変質しないまま、ただ一つの「東京都立大学」として記憶されたという見方もできます。

さて若干わき道にそれましたが、以上みてきたように、新大学の名称については、「首都大学東京」にしたという批判はあり得ますが、『「東京都立大学」を選ばなかった』という批判は当たらないと考えられます。ただ、そのような批判を生んだのは、首都大成立時の強権的な姿勢が強く作用したことに原因がある、ということは間違いないといえるでしょう。

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