東京都立府中リハビリテーション専門学校の歴史

理学療法士・作業療法士の養成学校

東京都立府中リハビリテーション専門学校は、リハビリテーションの中核となる「理学療法士」「作業療法士」が絶対的に不足していたため、それに対応するために設立されました。

「府中リハ」設立まで

設立の検討は1967年より始められ、翌年には設置場所が府中に決まり(グーグルマップ、場所は概算)、建物も着工しています。当時府中には、「東京都立府中療育センター」や「府中病院」が、また「東京都立神経科学総合研究所」の計画も存在しており、同校の設置場所として格好の存在と考えられていました。こうして、19691月には理学療法士および作業療法士の養成施設として指定申請を行い、3月には厚生省により指定がなされました。

1969年2月、初回の入学試験が行われましたが、これは旧東京都立大学の構内(目黒等の旧キャンパス)で行われたそうです。建物の完成が3月だったことが影響していたのでしょう。定員は理学療法学科、作業療法学科とも20名ずつでした。こうして1969418日、「東京都立府中リハビリテーション学院」は入学式を迎えました。

「府中リハ」の功績

修業年数は3年間で、英語での講義も多かったようです。これは当時、理学療法士・作業療法士の専門科目を教えることができる人材が日本に少なかったことが原因でした。そのため、教員養成のための留学制度を東京都の条例によって設置するなど、努力を重ねた結果、1974年には作業療法学科、78年には理学療法学科のスタッフ全員が日本人になるなど、教育者の養成という点でも大きな功績を上げました。

1977121日には、学校教育法の改正に伴い「東京都立府中リハビリテーション専門学校」に名称を変更しています。また83年には東京都内在住の高校生を対象に推薦入学制度が設けられました。

専門学校から短大へ

この「府中リハ」ですが、1974年には短大昇格を目指した動きもありました。この時点ではとん挫しましたが、看護専門学校などとの合併から短大を作るという計画は度々持ち上がっていたそうです。この流れの中で、82年には「都立医療技術短期大学開設準備委員」が発足し、同校の校長も委員の一人となりました。この短大設立の計画は順調に進み、「東京都立医療技術短期大学」が1986年に発足しました。

一方の「府中リハ」は1985年に学生募集を停止、1988年に閉校となりました。19年間の歴史の中で、卒業生は600名以上に上りました。同校の跡地には「ここにリハビリテーシヨンの学び舎ありき」という石碑が現存しています。(現: 東京都立多摩総合医療センター立体駐車場付近、鉄塔脇)

 

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