東京都立科学技術大学の歴史(1986~2011)

システムデザイン学部の大部分のルーツといえる東京都立科学技術大学とは、どのような大学だったのでしょうか。その歴史をたどってみましょう。なお、さらに遡る「東京都立工科短期大学」、また「東京都立工業短期大学」「東京都立航空工業短期大学」の3短大については、別稿にしたいと思います。

東京都立科学技術大学の概要

1986年、東京都立工科短期大学(以下、工科短大と略記)を4年制大学に昇格させる形で、東京都立科学技術大学(略称:科技大)が成立しました。英語名はTokyo Metropolitan Institute of TechnologyTMITと略されていました。1学部4学科制で、工学部の下に機械システム工学科、電子システム工学科、航空宇宙システム工学科、管理工学科(1995年に生産情報システム工学科と名称変更)という学部構成でした。

定員は各学科1学年45名ずつの合計180名で、全体では720名の学生が所属していた計算です。一方、女子学生が少ないことが特徴で、1996年では、全体で755名の内、女子学生は50名、2000年の新入生では、194名の入学手続き者のうち、女性は14名でした。

キャンパスと施設

その所在地は言わずと知れた現在の日野キャンパスで、工科短大の施設をそのまま引き継ぐ形でした。これは工科短大が開学する前の施設設計時から、4年制大学への昇格を意識していたために可能なことだったといえます。

施設を具体的に見てみましょう。1999年当時、科技大には、本棟、科学技術交流施設、実験棟群、大学会館、体育館、などがありました。このうち、本棟、実験棟、体育館は工科短大の施設を継承したもので、科学技術交流施設、大学会館は科技大時代に建設されています。実験棟群はバス停、さくら広場、テニスコートのあたり、また本棟は日野キャンパス1号館のあたりから南へ延びる形で建設されていたようです。

さてここで、科学技術交流施設に注目してみましょう。これは現在も残っていて、日野キャンパス2号館にあたります。日野キャンパスを訪れたことが無い方、おそらく一番特徴的な建物で、システムデザイン学部のwebページなどでトップ画像に使われているのをよく目にするかと思います。これは1993年に完成した建物で、その名の通り、地域の大学・産業・研究機関・自治体・地域住民との科学技術交流を促進するための施設として位置づけられていました。図書館(1994年に移転)、講義室、研究室などが置かれていたのは、おおよそ現在と変わりないようです。ちなみに建物の上層部は楕円形になっていますが、これは電波障害対策という意味合いがあったようです。

科技大の閉学と現在とのつながり

この東京都立科学技術大学は、2005年の首都大学東京の成立とともに学生の募集を停止、20113月に閉校しました。名残としては日野キャンパスに碑が遺されていますし、一部サークルが旧科学技術大学の流れを汲んでいます。例えば鳥人間部T-MIT が、その名前からしてもわかりやすいでしょうか。また、1998年から2002年まで科技大の学長を務めた原島文雄氏は、のちに2009年から首都大学東京の学長を務めています。

 

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