学生時代について
―学生時代からイベント運営に興味があったのですか?
学生時代も同じようなことをしていました。実は、ファッションショーサークル Cap⁵ を立ち上げたのも私です。初代の代表でした。
学生時代から自分で何かを立ち上げることがすごく好きでした。その延長線上で、セミナー運営ができる会社に新卒入社しました。そしてその経験が、今のMothers’ Earth Community立ち上げに活きています。
―そうだったのですね! Cap⁵ を立ち上げようと思ったきっかけは何ですか!?
大学1年生の時に、TBA製作委員会(東京都立大学ミス&ミスターコン製作委員会)に入って、先輩から大きな刺激を受けたことがきっかけです。
大学生ってこんなにすごいんだ!!こんなことができてしまうんだ!!と、先輩や同期のメンバーに憧れ、自分もそんな風になってみたいと思うようになりました。
そして、自分が描く「人の心を動かせるような舞台」を表現してみたいと思うようになりました。
ストーリー性があって、作り手である運営側、受け手の観客、舞台にたっているモデルの3つの立場の人が1つになって、その場にいる全員が同じ気持ちで感動できる空間を作りたいと思ったのが始まりです。
2007年の第一回目の開催では、350人収容のホールで2公演し、700名の方に見ていただきましたが、泣いてくださる方もいて、大成功を収めることができました。
でも、見てくれたお客さんから「よかったよ!」と言われるよりも、関わってくれたスタッフ・モデルのみんなから「関われて本当によかった!!」と、泣きながら言ってもらった事が、一番うれしかったですね。
―立ち上げ時にはどんなことに苦労しましたか?
前例がないところから始めたので、一緒に作りあげる仲間との意見の食い違いや、チームを一つにまとめて進んでいく事に苦労しましたね。ありがたい事にみんな真剣で、だからこそあらゆる意見や考え方に食い違いもあり、それを1つにまとめる事は簡単ではありませんでした。メンバーのモチベーションが下がらないようにする事、チームとしてどうまとまっていくのかにも悩みました。私も自分の実現したい世界観があったので、話し合いはとても長引きました。
歴史があるサークルと違って、前例がないということは、頼りにできるものは自分たちだけ。自分たちで道を開拓していかないといけない、まさに獣道でした(笑)でもその過程はすごく楽しかったです。
―立ち上げは何人で行ったのですか?
立ち上げメンバーは5人、全員女性でした。女の子が集まったバワーはすごい!ということを表現したかったということもあり、女性ならではの組織の作り方をしました。
その後、一緒にショーを作り上るスタッフ募集をして、服を作ったりモデルのウォーキングを考えたり、企画をする20人のチームになりました。そしてモデルを募集し、音響・照明、舞台設計、メイク・ヘアメイクを担当してくれる美容師さんをあわせて、総勢70人ほどの組織となりました。
私は代表として、メンバーにビジョンを示し、前にすすまないといけません。ですが、知らない事、やったことがない事の連続で、全てが手探りでした。
大学としても前例のない初の試みで、服飾系の学部でもない全くの素人集団です。ですが、それでも「やりたい!!楽しそう!!」という気持ちだけで、前に進みました。
服を作り、ウォーキングを指導し、照明音響などの演出・構成を考え、パンフレットやチケットも作り、ステージの大道具作り・・・専門学校生から服の作り方を教えてもらったり、ファッションショーを見に行ったり、劇団サークルの人に大道具作りを手伝ってもらったり、お友達に音響照明を依頼したり、協賛企業を募って布代やパンフレッド代を集めたり。できることはなんでもした記憶があります。
「私はここまでしかできない」ということを決めずに、とにかく何でもやってみた。この経験は宝物です。限界は自分で決めるもの。がむしゃらに進んで、振り返ってみたら、すごいことができちゃった!と思っています。
―菜穂子さんのその行動力の源泉は何ですか?
思い描いたビジョン、妄想していた事が形になっていくのを見るのが、たまらなくうれしかったですね。いつも、ドキドキワクワクした気持ちでした。
立ち上げを決めたときは、実は周囲から「できるわけない」と批判もありましたが、批判されることで「絶対にやり遂げる」と、より意志は強くなっていきました。
1人やるのではなく、仲間を企画にどんどん巻き込んでやった事も大きいです。「1人ではできないことも皆とだったらできる、一緒に作り上げたい!」という気持ちがありました。当時は、“絶対やる”と決めていたし、巻き込んでいる人数もどんどん増えてきて、だからこそ私も腹をくくれたのだと思います。“辞める”という選択肢はなかったですね。
常に限界ギリギリで、夜遅くまで活動する毎日過ごしていた記憶があります。
実は同じような感覚で、社会人になってからも仕事にも取り組みました。できる限りのことを「やり切った」という自負があります。だからこそ、終電まで働くほど仕事が大好きだった私が、潔く仕事を辞めて夫についてシンガポールについていく行く決断ができました。
女性にはキャリアにおいて、男性と比べられないくらい選択を迫られる場面が多くあると思います。ただし、その時にやっていた事に対して「やり切った」気持ちがあれば、潔くそれを捨てられる。未練なく前に進めるのではないかと思うのです。だからこそ私は、その時やっていること、出会う人とのご縁を大切に、全力を出し切ることを心に決めています。