第9回 "グローバル"で働く商社マンの仕事
プロフィール
Y.Mさん

1990年 熊本県生まれ 栃木県育ち
2009年 都市教養学部 理工学系 化学コース 入学
2012年 大学を休学し日系メーカーのインド支社でインターン
2014年 同コース卒業 / 外資系コンサルティングファーム 新卒入社
2018年 総合商社 キャリア入社 、現在事業投資部門に所属。

 

―学生時代、頑張っていたことを教えてください

2009年に理工学系化学コースに入学しました。1~3年生の間は座学がメイン、その後1年休学し、4年生になると物理化学系の研究室に配属となり、国内メーカーと柔軟剤の共同研究をしました。大学卒業後は、コンサル⇒総合商社に身を置くという決断をしたのですが、化学と申しますか、もっと広義にサイエンスは今でも好きですし、勉学には一生懸命取り組んだ自負があり、成績はコース内で上位に入っていたのではないかと思います。

 

―すごいですね、学問以外ではどんなことをされていたんですか。

サークルは、フットサルサークルとやや短いですが英語サークルに所属していました。
その他にも、海外と接点のある活動にも継続的に取り組んでいました。大学1年の春休み以降、長期休暇のたびに海外へ貧乏バックパックをしたり(東アジア、東南アジア、欧州 など)、大学4年生時には大学を休学し日系メーカーのインド支社(在ニューデリー)でマーケティングのインターンをしたり、その後も、インドの農村で社会問題解決型プロダクトに関するフィールドワークをしたり、ベトナム現地企業のコンサルティングのプロジェクトにも取り組んでいました。
ただ、こちらは自分の興味の赴くままに取り組んでいただけで、あまり頑張ったという意識はありません。もちろん、海外に出る度に自身の未熟さに否が応でも気づくので、それに対して何かしらの対策は立て、実行にも移すのですが、無理に自分を奮い立たせて努力をしたというよりも、好きだから自然とやっていました。

インターネットで検索すれば大体のことは分かる時代ではありますが、リアルな現場に足を運び、自分の目で知らない世界を見て、ありのままに何かを感じ、その中で気づきを得るということは非常に楽しいことです。

 

―多くの活動をされていたんですね、それらの活動の中で意識していたことはありますか。

いろいろな人と付き合うことです。大学生はある意味自由なので、ついつい似たような価値観を持つ人と付き合ってしまうのですが、あまり合わないなと思う人にも興味を持って会話することや、接点を持ち続けることが大切だと思います。私の場合、化学コース、フットサルサークル、英語サークル、インドインターン、インド人同僚やシェアメイト、ベトナムプロジェクト、地元などの色んなタイプの友人に恵まれましたが、各々に持ち味があり、社会人になった今でも何かしら刺激を与えてくれたり、相談に乗ってくれたり、斬新な視点でアドバイスをくれたりしています。何よりも今となっては日々の活力と申しますか、心の支えになっており、今も付き合ってくださる皆さんには心から感謝をしています。

 

 ―インターンはどんなことをされていたんですか。 

日系メーカーのインド・ニューデリー支社のマーケティング部門で、インド市場における関数電卓及び電子辞書などの市場調査を担当しました。これまで体系的に経営学を学んだことがなかったので、マーケティングのテキストを何冊か携えてインドに渡航しました。片手で勉強をしながら、インドのユーザー候補へインタビューにいったり、同国における競合品の性能・価格・流通チャネルを調査したり、関数電卓に関してはインドの高校の数学教科書から必要な機能に関するヒントを得たりと、日々必死でした。最終的には調査内容を100ページにもわたる報告書にまとめあげ、本邦研究開発センターに提案しました。

このインドでの経験は後の自らの進路への意思決定に大きく関係することになります。このあと、どのような経緯で1社目を選択したのかをお話します。

 

―わかりました。では、なぜこのインドでのインターンを選択されたんですか。 

大学3年生の春休み頃から漠然と今後の進路を考えるようになりました。

私は理系なのでオーソドックスに考えれば研究職に就くこととなります。当時、東南アジアをバックパックした経験から日本は技術立国であることを実感していましたし、技術者の父の影響もあり、研究職には思い入れもありました。ただ、研究職というのは一般的に地方勤務となり長期間にわたってひとつのテーマ一に取り組むこととなります。海外を飛び回って色んなことにチャレンジすることが好きな自分もいる中で、どのように進路を選択すべきか非常に悩んでいました。しかし、実際に仕事をしてみないと分からないのではないか、というのが当時の結論でした。そこで、技術を梃子にしたメーカーで、文系職を経験しながらも、海外で働いてみたら良いのではないかと考え、休学し、インターンをすることにしました。

 

 ―すごい決断ですね、素朴な疑問ですが、なぜこんなに頑張ることができるのですか?モチベーションの源泉を教えてください

正直、あまり頑張ったという意識はないです。自分が面白いと感じたこと、興味を持ったことに、素直に飛び込んだだけです。とはいえ、入学当時から自分の人生や進路については真剣に考えていたように思います。

私の場合、入学前年にはリーマンショックが起こり、世間は就活氷河期でありました。漠然と危機感は持っていて、自分自身を鍛えないといけないという意識はありました。実は入学直後は図書館にこもって化学とか英語の勉強をしていました。しかし、図書館に籠って勉強をしていても何も拡がらないな、と直ぐに気づきました(笑)周りに面白い先輩や同輩がいたことも大きかったです。そこから外に目を向けてみることにしました。

 

―もともと英語も話せたんですか。 

いや、当初はあまり話せませんでした。高校生までは宇都宮で過ごしていましたが、身近に外国人がおらず、大学に進学し海外に渡航するまでは英語を話す機会は皆無でした。初めて東南アジアに1人で渡航した際は、現地到着後はどのように入国審査をクリアして、どうように宿泊地まで移動するかなど、大変不安で、ずっと飛行機の中で会話のシミュレーションをしていました(笑)あまりスムーズに話せなくとも、工夫をすれば伝えたいことは伝えられる。コミュニケーションの本質について考えさせられる良い機会となりました。

なお、悔しい思いをしたこともあり、その後も英語の学習は継続しました。この2年後にはインド人同僚に囲まれながらインターンをこなし、また多国籍のインターン仲間とルームシェアをできるレベルになりました。それも今と比べると大したレベルではないのですが、ここまでできるようになると、触れられる情報や価値観が爆発的に増えていきます。シェアメイトには、フランス人、アルメニア人、セルビア人、アゼルバイジャン人、トルコ人、ブラジル人、ケニア人、インド人、ベトナム人、中国人ほか、いろいろな国籍の方がいましたが、理解しあえるところとそうでないところとあり、それがまた面白かったです。

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