移転直後の南大沢キャンパスと周辺の概況

「南大沢キャンパス」と記すと、そのまま新大学に引き継がれ、現在に至っているようなイメージを持ちがちですが、実はそうでもありません。周辺状況も含めて、見てみましょう。

駐車場だった6号館、テニスコートだった11,12号館

旧東京都立大学の新キャンパス(=南大沢キャンパス)ができた1991年当時、現在の6号館のある場所は駐車場で、教室の入った建物は存在していませんでした。また、現在の11号館・12号館もなく、テニスコートがありました。さらに付け加えると、牧野標本館別館は2018年にオープンした施設で、旧東京都立大学時代には当然存在していません。

ちなみに6号館がないとなると、例えば8,9号館などはどのような名前だったのでしょうか。実はそもそも番号で呼んではおらず、理学部棟、工学部棟というように、各学部に「棟」をつけて呼んでいました。

課題だった駅からのアクセス

また、キャンパスにおいて重要なのはアクセスです。ところが、そもそも南大沢への移転計画ができた当時は京王線も南大沢まで開通しておらず、駅自体も「由木平駅(仮称)」という段階でした。そんな状況の中、問題となったのは駅から大学までの道でした。現在南大沢駅から大学までの道は、かなりの高所を通っています。例えば今、飲食をしようと駅前のパオレのビルへ行くと、そこは4階か5階になります。つまり、改札口を地上(=南大沢警察署などと同じレベル)に作ってしまうと、その後大学に通うのに「地獄の上り坂」が待っていることになります。この高低差は当初から意識されていたようで、実際移転計画の立案中、事務局では本部棟・文系ゾーンのある場所を『203高地』と呼んだとされています。実際のところ、呼び名の若干の不謹慎さは否めませんが、それほど大学にとって重要な場所とみられていたこと、また何より『高地』であったことがわかります。そこで作られたのが、高架の駅改札口と大学方面とを結ぶペストリアンデッキでした。これがあることにより、さほどのアップダウンなく大学へ通うことができるのです。まさに、「旧東京都立大学のために作られた道路」ということができるでしょう。

駅周辺の様子

今では南大沢駅周辺にはアウトレットをはじめ、フレンテ、ガレリア・ユギ(イトーヨーカドー)、サザンウィンズ、フォレストモールなどなど、いろいろとビルが建っています。では移転直後の頃はどうだったでしょうか。

駅前にあったのは、1992年、今のイトーヨーカドーの位置に開店した「そごう」です。さらに写真を見る限り、どうやらパオレもあったようです。と、めぼしい建物はこれくらいでしょうか。

では、アウトレットはどうでしょう。10年くらい前は「ラ・フェット 多摩南大沢」という名前でしたし、もっと前はサーカスのようなテントがありました。どうやらイベントスペースだったようですね。それからドライブインシアターまであったという話も…。駐車場の脇にに大スクリーンを設置して車の中から映画を見られるようにしてあるという、某都市経営ゲームでたまに見るあれですね。

周辺地域との景観の統一

さて、南大沢キャンパスの景観は周辺地域にも影響を及ぼしていました。グーグルマップ等で見てみると、特にキャンパスの西側に、キャンパスと同じ赤色の屋根をしている建物群が目に入ります。

ベルコリーヌ南大沢というこのマンション群は、キャンパス工事と同時期に設計が行われ、その際街並みの統一を図りたいとして、その設計グループがキャンパス設計者から話を聞いたといいます。その結果、赤瓦の傾斜屋根という南大沢キャンパスのデザインがベルコリーヌ南大沢のデザインにも影響することになり、3kmに渡る丘陵上の街並みの景観が統一されることとなりました。

参考

 

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