立川短大と商科短大

東京都立短期大学は、東京都立立川短期大学と東京都立商科短期大学の2短大を統合して、1996年に成立しました。では、この2短大とはどのような短大だったのでしょうか。

立川短期大学(私立)の成立

東京都立立川短期大学の源流は、立川専門学校に求められます。この立川専門学校は、1947年に立川市曙町(現:国立市北3-36)に開設されました。もともとは私立で、経済科 1部、同2部が設置され、翌48年には英文科1部、同2部が増設されました。50年には短期大学としての設置認可が行われ、立川短期大学となり、商科・英文科それぞれ12部が設置されました。

立川短大を東京都へ移管

この立川短期大学は、多摩地区に都立の高等教育機関を誘致したいとの地元の意向を受け、1959年に東京都に継承されました。こうして成立したのが、東京都立立川短期大学です。翌60年には商科2部以外が廃止された一方、61年には家政科が設置されました。なお、本来は先の60年の学科廃止とともに、生活科学科の増設を申請していたようですが、その時は不許可となったようです。この理由はわかりません。

東京都立商科短期大学の成立

1950年代、東京都東部地区、すなわち現在の江東区周辺には商工業の中小企業者が多く、産業中堅指導者の養成機関の設立が望まれていたといいます。そこで、その東京都東部地区における地域産業人の教育と教養の向上を図ることを目的とし、1954年に設立されたのが、東京都立商科短期大学です。江東区深川越中島町3-8に所在しましたが、『江東区史』によると、東京都立第三商業高等学校と同居する形だったようです。

商科1部(昼間、2年制)からスタートし、57年に2部(夜間課程、3年制)が設置されました。学生数は1部が合計230名前後、2部がおよそ250名前後とみられ、男女比については、女性は1部がおよそ2~3割、2部は1~2割程度だったようです。余談ですが、当時の大学概要に虫歯の人数などの健康診断結果の概況が平然と記されているあたり、時代を感じます。校舎は2階建てで、具体的な大きさはわかりませんが、少なくとも広くはなかったようです。

2短大の移転・一部統合

この立川短大と商科短大の2校は、1969年にともに昭島市へ移転、一部統合などの再編が行われました。

昭島市東町(現:産業サポートスクエア・TAMA所在地)に新校舎が建設され、立川短大の商科2部と、都立商科短期大学の商科1部を統合、東京都立商科短期大学の商科12部として成立しました。のち73年には商科を商学科と改め、これは20013月まで存続しました。

都立商科短期大学のうち、残った商科2部は移転・統合はせず、越中島で分校として存続しました。1971年には中央区晴海へと移転し、73年には経営学科(夜間)となり、こちらも20013月まで存続しました。この晴海キャンパスは現在法科大学院が設置されています。

一方、立川短大の家政科も昭島市の同敷地に移転、つまり別短大ながら商科短大とキャンパスを共有する形になりました。立川短大はそれまでの家政科に加えて1972年に食物科を増設、74年にはそれらを家政学科、食物学科、また1992年には生活学科と食物栄養学科と改め、19983月まで存続しました。なお、旧立川短大の跡地は両短大共同のグラウンドとして整備されました。このグラウンドは授業でも使われていたため、時間割の工夫は必須だったといいます。

このように、別の2大学を同敷地に置くという体制が長くとられていましたが、1996年にこれらを統合して成立したのが、東京都立短期大学だったのです。

 

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