東京都立保健科学大学の概要
東京都立保健科学大学(英語名:Tokyo Metropolitan University of Health Sciences)は、1998年に東京都立医療技術短期大学を4年制大学に移行する形で開学しました。所在地は同短大を引き継いだ荒川区東尾久7-2-10、現在の荒川キャンパスにあたります。保健科学部のもとに、看護学科(80名)、理学療法学科(40名)、作業療法学科(40名)、放射線学科(40名)の4学科が存在していました。これもおおむね東京都立医療技術短期大学の学科を引き継いだもので、またこれは、現在の健康福祉学部へと引き継がれています。当時、都内としては唯一の総合的保健医療系の4年制大学だったそうです。
発足まで
短大の4年制大学への移行は、1986年に同短大が成立した直後、1990年にはすでに東京都により4年制大学への移行が計画され、教授会もこれを支持するなど、具体的な動きが存在していました。さらに1993年には4年制大学移行委員会を設置、1995年5月には1998年の開設という方針が決められています。方針決定の翌年にあたる1996年には校舎増築が行われ、また設置認可も1997年12月に通り、1998年4月、4年制大学の「東京都立保健科学大学」が開学しました。
保健科学大学のあれこれ
設置理念としては「保健医療に関する広い知識及び専門の学術を教授研究し、高い見識及び実践能力と共に豊かな人間性を備えた人材を育成し、もって都民の健康医療の向上及び福祉の増進に寄与することを目的とする。」とされています。
校歌・校章は、2000年に委員会を立ち上げ、学内で案を募集したうえで、コンテストが開かれたそうです。校歌は作詞作曲ともに作業療法学科の2人の学生によるもの、校章は看護学科の助手によりデザインされました。この経緯は同学の学報の『ざ・へるすさいえんす』15号に掲載されています。
その他、都立の大学として「開かれた大学」をテーマの一つに掲げていました。これは「科目等履修生」「社会人聴講生」などの受け入れを行っていました。両者の違いは、後者は試験の受験や単位認定を行わない、というものだったようです。
また、都立の4大学の連携として、2002年より行われた都立4大学単位互換制度「4-Met's」、また、旧東京都立大学が保有していた富士見高原学外施設、会津田島寮の両施設を使用することもできました。
保健科学大学の閉学時期
この東京都立保健科学大学は、他の都立の大学と同様、2005年の首都大成立とともに学生の募集を停止、2011年3月をもって閉学しました。