首都大学東京のルーツの内の一つに、東京都立短期大学が挙げられます。この東京都立短期大学とは、どのような短大だったのでしょうか。
東京都立短期大学の概要
1996年、東京都立短期大学(英語名:Tokyo Metropolitan college)は、東京都立立川短期大学と東京都立商科短期大学を統合して開学しました。キャンパスは昭島(現:産業サポートスクエア・TAMA所在地)と晴海(現:晴海キャンパス)の2か所で、文化国際学科、経営情報学科(一部、二部)、経営システム学科(夜間学部、@晴海キャンパス)、都市生活学科、健康栄養学科から成り立っていました。
定員としては、1学年あたりおよそ300名、倍率は1996年~99年ごろの数字ではおよそ2倍前後となっていましたが、閉学直前の2003年度の入試では全体で1.6倍と、徐々に下がる傾向にあったようです。学生の男女比は、多くの学科で女性の比率が圧倒的だった一方、経営情報学科二部、経営システム学科の2学科、これらはいずれも夜間学部ですが、こちらはおよそ半々となっていました。全体では女性が約8割となっていたようで、この傾向は閉学まで変わらなかったようです。
教育上の特色
教育方針としては、①幅広い教養の裏付けを持つ専門的、実践的教育の実施、②生涯学習型、社会人学習型および地域産業人学習型教育の実施、③多様な教育の機会・方法の提供、④社会人の受け入れ、⑤留学生・帰国生徒の受け入れ、などがあげられています。特に②では、社会人や在宅女性、高齢者への対応として、夜間学部の拡充などにも力を入れていたようです。
施設の様子
施設について、まず図書館に注目してみましょう。昭島キャンパスの図書館は、蔵書は約90,000冊を数えた一方、1973年の建築であり、老朽化が進んでいました。3階建ての新施設の建設計画もありましたが、実現はしなかったようです。
グラウンド(現:東京都立立川国際中等教育学校グラウンド)もありましたが、これは旧立川短大の敷地を整備したものでした。地図を見ると一目瞭然ですが、昭島キャンパスとは3.5kmほど離れており、体育系の実技を行う際には、移動時間をとれるよう、時間割上の工夫が必要だったようです。
都立短大の閉学と新大学との関わり
この東京都立短期大学も、他の3大学と同様に首都大学東京設立に伴い、募集を停止、短大の性質上、他の3学より早い2008年に閉学しました。
閉学後、首都大学東京へ就任した所属教員は、基礎教育センター(現:大学教育センター)やオープンユニバーシティへ割り振られたほか、各学科へ所属した教員もいました。みなさんの身近な先生にも、短大で教鞭をとられていた先生がいらっしゃるかもしれませんね。