1991年に目黒から南大沢へと移転した旧東京都立大学ですが、当時の学生の賛否はどうだったのでしょうか。
反対した学生の事情
「校地が狭く、教育研究に支障が出るため移転が必要だった」ことはまっとうな移転の理由だったとはいえ、当然ながら学生に与える影響は大きく、反対意見もありました。とくにB類(=夜間学部)には昼に働きながら夜に通学するという学生が多かったため、職場と大学との距離が離れると通学が出来なくなる可能性がありました。そのため、B類自治会を中心に「テント村」を設置するなど反対運動を展開しました。とはいえ、移転自体は1984年には決定したため、その後は移転の条件が争点となったようです。
大学側の対応
大学側は1984年に移転基本構想委員会とその下に広報分科会を発足させ、各学生自治会などの学内諸団体に呼びかけ、意見聴取のため定期会合を設定しました。これは月2回、午後6時半から9時までという形で開催されました。その2回目には、諸団体より会合の定期開催、情報公開などが要求され、分科会はこれを概ね了承しました。ここに相互に信頼関係が築かれ、移転実現に向け、学生ホール、学館、寮などの施設の建設場所や面積などの交渉、またバスでの現地調査なども行われました。86年になると週2回の会合となるなど、綿密な交渉を経て合意され、移転が実現しました。
このように、移転については、大学側だけで決めることなく、また自治会へも主体的に呼びかけ、学内の合意形成を図ったものだったのです。