旧東京都立大学のキャンパスといえば、目黒キャンパス(八雲キャンパスとも)という人は多いでしょう。これは、東急東横線に現在も都立大学という駅がある、というのが大きな理由ですが、実はそれ以外にもキャンパスはありました。では、簡単に辿ってみましょう。
※写真は目黒キャンパス跡地に建つ「めぐろ区民キャンパス」。
目黒キャンパス
東京都目黒区八雲1-1に所在していました。東急東横線の都立大学駅が最寄り駅で、広さはおおよそ70,000㎡、都立高等学校の敷地・校舎を引き継いだものでした。かつての東京都立大学の旧キャンパスというと、一般的にはこの目黒キャンパスを指すことが多いでしょう。
このキャンパスは、都立高等学校尋常科の後身である都立新制高等学校(1950年より東京都立大学附属高等学校。現在では桜修館中等教育学校がその流れをくむ)と同居する形でした。大雑把に言えば、敷地の半分が附属高校の敷地だったといえるでしょう。このため、のちに南大沢へキャンパスを移転する際には、目黒に残った附属高校の面積をどれほどとるのかが問題にされたそうで、結局28,500㎡が附属高校の敷地とされました。
目黒キャンパスには、大学本部、人文学部、理学部が所在(理学部はのち深沢に移転)していましたが、2年生までは学部を問わず全員がこの目黒キャンパスにおいて教養課程を履修していました。校舎は大まかに3階建てのA棟、地下1階+4階建てのB棟があったようですが、これら全てをそのA棟・B棟に収容していました。
1991年、校舎の狭さなどを理由に、キャンパスは南大沢へ移転しました。現在跡地には、東京都立桜修館中等教育学校、めぐろ区民キャンパス(目黒区立中央図書館他が入居)などが所在しています。このめぐろ区民キャンパスの北側、やくも文化通り沿いには、府立高等学校と東京都立大学の門跡が残されています。
鮫洲キャンパス
東京都品川区東大井1-10-40 (現:東京都立産業技術高等専門学校 品川キャンパス)に所在していました。かつての都立工業専門学校の敷地を引き継いでいました。
鮫洲キャンパスには工学部が設置され、鮫洲新制高等学校(1949-1957まで都立大附属校)と同居していました。工学部の学生も、2年間は目黒キャンパスで教養課程を履修していたため、鮫洲キャンパスに初めて東京都立大生が入ったのは開学の2年後、1951年のことでした。
ところがこのキャンパスは、隣接する車両検査場の場内放送での講義中断や、海沿いにあったことから1949年に台風による波浪で、併設された寮が損壊するなど問題もあり、1960年から61年にかけて、深沢キャンパスへと移転することになりました。
深沢キャンパス
1952年から1961年にかけて、鮫洲キャンパスから移転してできたのがこのキャンパスです。世田谷区深沢2-1に所在し、広さはおよそ40,000㎡でした。理学部、ついで工学部が順次入居しました。駒澤オリンピック公園の南に位置していましたが、1991年にキャンパスは南大沢へ移転し、現在では「深沢ハウス」という集合住宅が建てられています。また、「深沢ハウス」の南側、やくも文化通り沿いには、「都立大学理学部前」というバス停があります。これは、理学部が深沢キャンパスの南側に位置していたことに由来しています。ちなみに工学部はキャンパス北側に位置していました。
なお、この深沢キャンパスには、1958年に牧野標本館が設置されています。南大沢キャンパスに所在する牧野標本館は、これを移転したものです。