白南風ドロップス 十一
大塚慎太郎


十一、菖蒲の帷子纏った少女
 湯ノ宮陽鞠が部室の扉をノックすると、中から数人の声が聞こえた。少し遅れて扉が開く。
 顔を出したのは三年生だった。聡明そうな双眸が陽鞠と藤崎美乃を交互に見つめる。
「何か御用で?」
 二人は軽く会釈して、部長の仲井戸佑花に用があると伝えた。
「部長? あなたたち二年だね。委員会活動?」
「いえ、そういうわけでは……」
「悪いけど、こっちも部活の最中なの。きちんとした理由を出して」
 彼女の態度は頑なだった。どうしたものかと二人が顔を見合わせ思案したとき、中から明るい声がかかる。
「あれ、昼の二人組。あ、また聞き込み?」
 奥のロッカーに腰かけた橋本麻里香からだった。彼女はロッカーから降りると、佑花を連れて外へ出る。
「部長、さっき話してた探偵さんだよ。副部、ちょっとだけ頼むよ。いいでしょ」
「あ、ちょっと!」
 麻里香は佑花を廊下に残し、騒ぐ三年を連れて部室に引っ込んだ。
 取り残された佑花は廊下の壁に背中をぴったりとつけ、二人に臨んだ。
「えっと、別に探偵じゃないんですけど。嗅ぎまわるようなことをしたいわけじゃなくてですね……」
 陽鞠は妙に歯切れが悪かった。ここまで警戒されるとは想定していなかったらしい。美乃が代わりに佑花に説明を図る。
「私たち、一年の玉井さんと仲がいいんです。玉井さんが悩んでいると聞いて、解決してあげたくて。少しだけお話聞かせてください」
 美乃は頭を下げた。陽鞠もそれに続く。佑花はそれを見て少しの間黙っていたが、弱い声で、
「分かったよ。頭上げて」
 と言った。
「ありがとうございます! さっそくなんですが、鍵の紛失した六月三十日、守衛さんから鍵を借りたのは部長だそうですね。部活動禁止の期間に部室に何の用があったんですか?」
「窓を開けっ放しにしてたことを思い出したからだよ。テスト期間に入る前、最後の活動日に私が閉め忘れて、そのことに気付いたのが三十日の朝だった」
「ふむふむ。それで、鍵を借りたはいいけど、先輩は用事ができて部室に向かえなくなってしまった」
「そう、それで和美、同じクラスの三宅和美に頼んだの。そこから数人の手を渡り、最後に真智子ちゃんが部室の前で、無くなっていることに気付いた」
 既知の情報ではあったが、改めて佑花の口から出たものとして陽鞠は手元に書き留めた。
「先輩は、鍵の紛失は故意だと思いますか?」
「故意?」
「はい。道具を壊す目的だけではなくて、演劇部といったら、部の中ではまあまあのお金持ちじゃないですか。金銭目当てとか」
 演劇部は全国大会にも度々出場する、学校の顔となれる部活だった。美乃の調べによると、部費も毎月少なくない額が徴収されているという。
「別に金持ちっていうほどじゃないと思うけど、それはないんじゃないかな。大体、どこの部でも部費は先生が管理するか、ちゃんとした金庫に入れておくからさ。部室の鍵だけ盗んでもしょうがないことは部に所属している人ならすぐ分かると思うよ」
 佑花の言葉を聞いて、陽鞠は小さく唸り声をあげた。弱小部の部長を務める彼女は、金銭をすべて一人で管理していたので、他の部活の金銭管理については想像に難かった。
「私はね、鍵は私も含めて部員の誰かが落としてしまっただけで、大道具の破損はまた別の人がやったんじゃないかと思ってるんだ」
「ほお、それはどうしてですか?」
「ちゃんとした根拠があるわけじゃないけど、消去法かな」
 陽鞠はしっかりとメモに書き留めると、数ページ戻って、玉井真智子から聞き出した情報のページを見た。
「ところで、鍵が無くなった当日、部室内で小さな袋を見たという人がいるんですが、先輩は何か心当たりがありますか?」
 陽鞠の問いかけに、佑花は難色を示した。今度は佑花が唸り声をあげる。
「何か知ってるんですね。教えていただけませんか」
「……まあ、すぐ見える場所に置いといたもんね」
 佑花が漏らした言葉を聞いて、陽鞠と美乃は顔を見合わせた。やはり、例の袋の持ち主は佑花らしい。初め妙に二人を警戒していたのも、この件で後ろめたさを感じていたことが一つ理由となっているやもしれない。
「守衛さんには言わないでね。できれば先生にも」
「もちろんです。私たちは真智子に話せればそれでいいので」
「あれはね、私が置いたの。朝守衛さんから鍵を借りて直接部室まで行ってね。それから何か理由をつけて和美に部室に行かせようとしたの」
 陽鞠は書く手を止めて、ずっと前のメモを見返す。「何か理由」とは、三時間目の先生からの呼び出しらしい。
「あれは和美への誕生日プレゼントで、ちゃんと袋を見たらすぐそうだと分かるものだったの。いやー、和美も他の人に渡すとは思わなかったな」
 佑花は腕を組んで廊下の壁にもたれかかった。
 美乃は陽鞠のメモを覗き込みながら状況を整理した。読み通り部室の袋は佑花が三宅和美に当てたものであり、且つ少なくとも鍵を紛失させたのは佑花ではない。
「昼休みが終わった後に三宅先輩から何か言われましたか?」
「ううん、何も」
「それに対して、先輩からは何か行動しなかったんですか?」
「しなかった。ちょっと気恥ずかしくてね」
「じゃあ放課後になって、三宅先輩が二年の、えっと……」
「静ちゃん、秋山静ちゃん」
「その秋山先輩に鍵を託したことについて、変だと思わなかったんですか?」
「うーん、放課後は私もちょっと慌ただしくしてたし、声かけづらかったのかな? 和美にはただ窓を閉めてきてって頼んだだけだし」
 佑花に部員を疑う気持ちは無いらしい。
 陽鞠はボールペンのペン先をしまい、メモを閉じる。
「ありがとうございます。もしかしたらまたお話伺うかもしれません」
「うん、時間があるときならどうぞ」
 快く頷いて部室に戻ろうとする佑花に、美乃が声をかける。
「あの、大道具班の方にも少しお聞きたいことがあるんですが……」
 振り返った佑花は困った顔を見せ、
「少しだよ?」
 と言って部室に一度引っ込んだ。
「ちょっと、何聞くの?」
「まあまあ」
 部室の扉が開き、現れたのは先程二人を邪険にした三年生だった。
「手短に頼むよ」
 彼女は佑花とはまた違った態度で壁にもたれる。
「えっとぉ、お名前は?」
「まず名乗れ」
「あ、すみません。二年一組の藤崎美乃です。こっちが同じく二年六組の湯ノ宮陽鞠」
「うん、三年四組、進藤舞子よ」
「あ、副部長の……」
「そう」
 短くそう言ったきり、進藤舞子は黙り込んだ。視線は二人から外れ、廊下の奥の方に向けられている。
 これは聞き出すのが難しそうだと、美乃は心中で頭を抱えた。まずはどうにかして舞子の興味をこちらに向けたい。記憶をたどり、陽鞠から奪い取ったメモを見返す。
「これは私たちと同じ寮生の玉井真智子からの情報なんですが、部長と一番仲がよろしいのは進藤先輩だそうですね」
 美乃の言葉に、舞子は片眉をぴくりと動かした。
「真智子がそう言ったの?」
「ええ、そうです」
「へえ、ふーん……」
 舞子の体が少しだけ美乃の方を向いた。
「あたしは違うとけどね」
 そう言ってまた、何も無い空間に視線を戻した。この話題は失敗だったのか。美乃は少し心が苛つくのを感じていた。どうにも態度が悪い。後輩の悩みを、直属の先輩である舞子が解決させないから、無関係の美乃が出てきているというのに、と少し理不尽な不満が美乃の心を占める。
「あなたは、部の平穏を荒らされて、何も思わないんですか! 自分たちで解決させる気も無くて、部外者に介入させる気も無くて!」
 急に吠える美乃に驚いたのは、むしろ横にいた陽鞠の方だった。美乃の顔に目を向け、それから彼女の手の中で無残に握り潰されたメモ帳を見た。
 舞子は眉をひそめ、不機嫌さを隠そうともしなかった。初めて、美乃を真っすぐに見据えた。
「平穏を荒らされたっていってもね、そう大きな実害は出ていないのよ。無くなったのは鍵だけ、何か備品が盗まれたわけじゃない」
「大道具は?」
「それは、『部外者の』あなたたちに言っても分かんないだろうけど、情のある壊し方なのよね」
「情、ですか……」
 舞子の独特の言い回しに美乃は戸惑った。メモ帳の皺を伸ばし、ペンを構える。
「見る人がちゃんと見たらすぐ分かるんだけどね、一から作り直さなくちゃいけないような壊れ方じゃないのよ」
「ほう」
「だからあたしは、あんたらのような部外者ではなく、少なくとも大道具破損については部内の人間の仕業だと思っている。お分かり?」
 大きな身振りで二人に問いかける。
「それからあんた、自分たちで解決させる気が無いって言ったわね。大有りよ!」
 舞子は先程とは打って変わって饒舌になった。
「あたしは自分が汗水たらして作った作品を壊されて頭にきてるの。この問題はあたしが解決する。分かったら帰れっ」
 捲し立てて、舞子は部室へと姿を消した。
 嵐の去った廊下で、取り残された美乃は陽鞠に何も書かれなかったメモ帳を返す。陽鞠はそれを受け取り、丁寧に皺を伸ばした。
「どーすんの。まだやるぅ? めちゃご立腹じゃない」
「ひまちゃん」
「ん?」
「私、燃えてきた」
 美乃は開かない部室の扉を見据え、拳を強く握りしめた。
「何で、今ので何で?」
「言わせておけますか。真智子ちゃんの先輩は私たちだよ! ひまちゃんだってそう思うでしょ!」
 舞子は、美乃の面倒なツボを刺激していった。
 陽鞠は燃える美乃を放置し、廊下を少し歩いて周る。
 演劇部の部室は、普段使用している校舎とは別の棟にあった。敷地の丁度真ん中あたりに佇む大講堂。その控室のいくつかが演劇部に割り当てられている。うち、一番大きいものをメインの部室として使っているようだった。佑花が借り、そして紛失した鍵はこの部屋のものであり、破損した大道具はその続き間に安置されていた。
 大講堂は他の校舎よりもいくらか古いものであり、全体的にどこも薄暗い。二つある建物の入り口の片方に守衛室が設置されている代わりに、防犯カメラは一つも無い。そもそもの学校の方針として内部敵を想定していないようで、敷地の境界線を見張る目は多いのに対して、内部を見張る目があまり発達していなかった。
「女子校だからってのもあるのかもしれないわね……」
「何か言った、ひまちゃん?」
「何でもないわ。ちょっと、こっち来なさい」
 陽鞠は廊下が折れるところに美乃を呼び寄せた。
「ここから守衛室、見える?」
「ううん。守衛室ってもっと入り口の方でしょ。こんな裏方から見えないよ」
「そこがポイントなのよねー」
 大講堂の守衛は、講堂の全てを把握しているわけではなかった。
「守衛さんっていうより管理人なのよね。常時入ってくる人を見張ってるわけじゃないの。道を選べば、見つからずに部室に行くことも可能なのよ……」
 陽鞠は頭に指を突き立て思案した。
「ひまちゃん、どうにも管理が杜撰だなー、とか思ってる?」
「ええ、まさに。うら若き乙女たちが何百人も集まってるのよ。いくら何でも、穴がありすぎるんじゃないかしら。親は何も言わないの?」
「ふっふっふー、『そこがポイントなのよねー』」
 美乃はにやにや笑いを浮かべ、先ほどの陽鞠の口調を真似た。
「あぁ? 何が言いたいのよ」
「まさに、親が言ってきたのが問題なの。ほら、教室の扉って一枚板じゃなくてガラスがはまってるでしょ。廊下から中の様子が少し窺えるくらいには大きなガラスが」
「そうね」
「そこからね、盗撮騒ぎがあったらしいの。もう五、六年は前のことらしいけど。廊下にあった防犯カメラから、ぎりぎり教室の中が見えて、ぎりぎり生徒の着替えが見えるか、見えないか」
「ほーん。それで過保護な親共が騒ぎ立てたと」
「いや、そこまでは知らないけど。とにかくそんな理由でカメラの角度調整じゃ飽きたらず、校内の防犯カメラは大分減らされたらしいよ。まあ、こんな講堂の廊下のまで減らす必要があったかは知らないけど」
 中庭を囲むガラスに手を当て、陽鞠は生い茂る外の緑を眺めた。この時点で、目撃証言から容疑者を絞り込める可能性は絶望的だ。
 美乃は考え込む陽鞠をよそに、中庭へ続くガラス戸を開け外に出た。夕方の雨上がり、小さな屋外空間は異常なほどに蒸していた。小さな花を目指した美乃の顔が一瞬にして曇る。
「ねーひまちゃん、帰ろうよー」
「うるさい、黙ってなさいガキ」
 温室から逃げ出した美乃は、得られて情報を整理しただけのメモ帳を覗き込み、陽鞠の背中を無理矢理押した。
「そろそろ晩ご飯の時間だよ。お腹空いた。いったん真智子ちゃんに報告しようよぅ」
「ほんっと子供ね。何なの、燃えてたんじゃないの?」
「温室でしけっちゃった」
 腕時計を確認すると、まだまだ夕食には程遠い時間だったが、昼食を食べ損ねた陽鞠に、大きな子供に抵抗する力は残されていなかった。仕方なく自分でも歩き出すと、予想外の動きだったのか美乃は前につんのめり、無様に床に這いつくばった。
「何やってんの? 置いてくわよ」
 陽鞠は立ち止まって美乃を一瞥すると、助け上げることなくまた歩き出した。
「今のはそっちが悪いでしょー」
 膝についた埃を払い、美乃は駆けて陽鞠の隣に並ぶ。そのまま埃のついた手を陽鞠の制服に叩きつけた。
「はあ? 言いがかりはやめなさいよ」
 二人は応酬を繰り返しながら、大講堂を後にした。
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