白南風ドロップス 十
大塚慎太郎

十、ぬるくなったレモン水
 畳の上に正座した陽鞠は、美乃に正面に座るよう促した。彼女の前にメモを開いて置く。
「そもそも玉川は、遠藤に贈ろうとしていたのよ」
「え、誕生日プレゼント?」
「そう」
 小百合の誕生日は七月三日。定期考査が終わり落ち着いた時分に渡そうと考えていたのなら、妥当な時期である。
「あそこ、きっとあんまり仲が良くないのよね。……深くない、と言いましょうか、それこそ紅茶が嫌いなことを知らないレベルで」
「ほう」
「美乃、あんた良く知らない人に対して贈り物をするってなったら、何を包む?」
「カタログギフトは妙案だと思う!」
 美乃はつい先ほど学んだ贈り物の形を自信たっぷりに答えた。
「詳しく知らない友達に!」
 陽鞠のしかめっ面を前に、美乃は考え直す。腕を組み、宙を見上げ、天井の染みを数え……。
「その時期、ギフトコーナーに置いてあるものかな。今なら保冷剤とか。あとは、いつの世も誰に渡してもつき返されない、ハンカチ、ハンドクリーム……ハンドクリーム?」
「そう、香るもの」
 陽鞠は気障ったらしい仕草で美乃を指さした。美乃は小百合の紅茶嫌いに対する真智子の顔を思い返す。
「多分、遠藤のカタログギフトを眺めていたのも、遠藤が何に興味を示すのか知りたかったんでしょうね」
「真智子ちゃんが小百合ちゃんに誕生日のお祝いをしようとしていたっていうのは、私もそうだと思う、納得。でも、真智子ちゃん自身がその先入観でもって部室のものをそうだと勘違いしたっていう線はないの?」
「それは、可能性としてないとは言えない。でもそんなに高いものではないと思うわね。私も女子高生が人に贈るものにそんなに心当たりが無い」
「なんてことないタイミングで日々のお礼を渡したっていいんだよ、ひまちゃん!」
「そうね。で、誰に贈ろうとしていたかっていうと……?」
 美乃は陽鞠の味気ない反応に気分を損ねたらしく、彼女の問いかけに応えようとしなかった。脚を伸ばし、畳に身体を預ける。その様子に陽鞠はしばし悩んだ後、風呂を勧めた。
「一旦中座よ」
「二人とも中座したら、それはもう中断なんじゃないかな?」
 二人は無言で部屋を出た。身体を清め、再び部屋に戻ってくるまでの間、二人は一言も言葉を交わさなかった。あるいはそれが彼女たちなりのリセットの方法なのかもしれない。

 次の登校日、二人は昼休みの間に三年生の教室に足を運んだ。
「誰から行くの?」
「五組、橋本麻里香。一番遠くから行きましょ」
 廊下の突き当りから一つ手前の教室に首を突っ込む。すぐ近くにいた生徒が陽鞠を振り返った。
「誰か呼ぶ?」
 足元で二人の学年を確認した彼女は、親切に問いかけた。
「橋本麻里香先輩、いらっしゃいますか?」
 彼女は教室を見回し、窓際に佇む橋本麻里香を呼び立てた。綺麗に切り揃えられたショートカットが揺れる。麻里香は友人との会話を中断して陽鞠の元へやって来た。陽鞠は美乃と共に麻里香を廊下の人が少ないところへ連れて行った。
「はじめまして、二年の湯ノ宮陽鞠です」
「藤崎美乃です」
 二人は名乗り、真智子と寮で親しくしていると述べた。
「近頃、仲井戸佑花演劇部長と、何か個人的に、一対一でのやり取りはありましたか?」
 麻里香は突然の訪問に驚きつつも、眉尻を下げ、柔和な態度で答えた。
「部長と? いや、別に何も……。部長とはクラス違うし、部の中でも役割が違うから、あんまり交流もないしね」
「部の中での役割というのは、どういうものですか?」
「うふふ、何か刑事ドラマみたいね」
 メモを構えて詰め寄る陽鞠に、麻里香は目を細めて笑った。彼女曰く、演劇部の活動の大半は、ある程度の班に分かれて作業をするという。指折り数えて説明する。
「役者班、大道具班。小道具班、衣装班、ここは一緒になることも多い。照明班、音響班、シナリオ班。これぐらいかな。一公演ごとに決められるけど、基本的にいつも同じようなメンバーでやってる。二つの班に同時に入る人もいる」
「部長は?」
「役者班」
「橋本先輩は?」
「音響班」
 陽鞠はメモ帳に大きく表を作り、班分けを書き留めた。麻里香はそれを少し覗き込む。
「ね、何でそんなこと聞いてるの?」
 陽鞠はちらと美乃の方を見た。今までずっと黙って陽鞠のするままに任せていた美乃は、急なことにうろうろと視線を這わせ、根拠もなく頷いた。それを見て、陽鞠は真智子との話を明かした。
「真智子から、演劇部で起きていること——鍵の紛失と大道具の破壊——について相談されたんです」
「真智子ちゃんが」
 麻里香は意外そうに繰り返す。
「鍵が無くなった日、スペアキーで部室の中を確認したそうなんですが、そのとき小さな袋を見たと言っていまして。それが誰かへの贈り物だと、そしておそらくは六、七月生まれの方への誕生日プレゼントだろうと」
「ああ、そんなこと」
 麻里香はいとも簡単に応えた。
「それなら和美ちゃんだと思うよ。知ってる? 一組の三宅和美」
「はい。でもどうしてそんな確信じみた……?」
「あそこは中学から一緒で、仲も良いもん。あなたたち内部生?」
「いえ、高入です」
「じゃ、分かんないかな? 内部生同士の強い友情。部内だけじゃなくて、それこそ一対一でのお祝いがあってもおかしくないと思うよ」
 自身も高入生だという麻里香は、寂しさと憧れの混じった声色で言った。しかし存外その顔は明るい。その後、彼女は二人を一組まで連れて行った。和美を呼び出し、自分の教室に戻っていく。
 和美は、急な来訪に戸惑っていた。
 先ほどと同じように陽鞠と美乃は名乗る。まず、演劇部内での班を聞く。彼女は麻里香と同じ音響班だと答えた。麻里香にしたものと同じ質問を繰り返す。
「近頃、仲井戸佑花演劇部長と、何か個人的に、一対一でのやり取りはありましたか?」
 和美は少し考えてから、首を横に振った。
「いや、特に思いつくことはないけど」
「そうですか」
 麻里香と同じように、真智子の情報を開示する。
「六月生まれで私……」
 陽鞠は期待の滲んだ目で和美を見ていた。和美はそれを感じながらも、申し訳なさそうに首を横に振った。
「私じゃないと思うよ。今まで一度ももらったことないし……」
 陽鞠と美乃は、顔を見合わせた。和美は廊下の窓から見える紫陽花に目を向けていた。

 休み時間が終わり、昼食を取り損ねた陽鞠は、回らぬ頭で和美の言葉を反復していた。
 内部生同士、六年目の付き合いになるはずの仲井戸佑花と三宅和美の関係に、少なくとも和美自身は重要性を見出していないらしい。麻里香の言葉に嘘はないと感じたが、和美も自信なさげに逸らされた目から故意に騙るような意思は見られなかった。
 仲のいい友人というと演劇部の部員ばかりで、部内で祝う機会があるから、誰かと直接やりとりをしたことはない。和美は否定した。
 陽鞠は、自分のことを顧みた。麻里香の視界に強いバイアスがかかっている可能性を考慮してのことだ。彼女が入学したての頃に、内部生と揉め事でもあったか。しかし、陽鞠も入学から一年と少し、高入生と内部生の間にある、透明だが明確なラインを意識してきていた。麻里香の言うことが間違ってはいない。
 ゆっくりとすぎる五、六時間目の授業を聞き流して、放課と共に陽鞠は教室を出た。一組の教室で美乃を捕まえると、演劇部の部室へと向かう。
「ひまちゃん、何か分かったの?」
 陽鞠の後を追いながら美乃が尋ねた。陽鞠は立ち止まり振り返る。
「何も分かんなかったわよ。分かんなかったから行くのよ」
 心なしか楽しそうな声で答える。そしてまた歩き出した。
 部室は扉が閉められていたが、中から何から賑やかな声がもれ聞こえてくる。陽鞠は扉の前で襟を正し、一度咳ばらいをすると扉をノックした。

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